こんにちは音楽ライターのTAKAHAです。
先日『感情のピクセル』に対する考察記事を書いて、良くも悪くも賛否両論があった。というのも、文中で「岡崎体育のこの曲は歌詞を軽視する若手ロックバンドへの警鐘を鳴らす皮肉を込めたメッセージがあるのではないか」ということに触れたからだ。これに対しては前述の通り様々な意見があったがこれは割愛する。
岡崎体育本人は自身のTwitterで「そういった意味はない」というようなツイートをしていたが、そもそも曲というのは作り手自身の手から離れそれを第三者が聴いた瞬間から、自分だけのものではなくなる。
例えば、恋人への想いを歌ったラブソングを聴いて、ファンへ宛てた感謝の曲だと解釈するリスナーもいるだろう。その曲を聴いてどう捉えるかはそのリスナー次第で、そこには「優劣も良し悪しもない」。
岡崎体育『Natural Lips』
それをふまえた上で今回の新曲『Natural Lips』。曲を聴くと一見ダンサブルでどこかブラックミュージックを連想させるようなお洒落な楽曲へと仕上がっているが、いざ曲を聴き、サビに入ると真面目に聴こうとしていた自分が恥ずかしくなり、椅子から転げ落ちた。
「夜分に入る風呂は、なぜだかちょっと寂しいな ひとりぼっちの湯呑み 苦肉の策にアリじゃないかな ジュース飲みたいな二人で」
から始まり、一見悲恋を歌っているのかと思いきやサビで連呼される
「ブス?否、美人」
2番に入ると加速する悪巫山戯。
「海鮮丼を割り勘でいこうな 店内でも念押しで「割り勘な」って 定期的に言わして」
そして再び繰り返されるサビでの「ブス?否、美人」
極めつけはCメロ
「ブリの炙りを食べたいな トロの炙りも食べたいな 鯛の湯引きも食べたいな 食べられないのは 耐え難い 耐え難い 耐え難い 耐え難い 耐え難い 耐え難い 耐え難い それはさておき ブス?否、美人」
これは完全に舐め腐ってる。これで「いや、舐めてない、これは岡崎体育のブラックミュージックに対するリスペクトだ」は無理がある。いや、たしかに楽曲そのものに対するリスペクトはあるかは知らんが、完全に「曲さえ良けりゃ歌詞は適当でいい」という人を食ったような皮肉にしか感じられなかった。
ただ、それでも岡崎体育の作り出すメロディセンスはもはや若手アーティストのなかでも抜きん出たものがり、細部まで練り込まれ、随所に散りばめられた細かな技術、しかし一聴するとそんな努力をまったく感じさせない笑えるくらいスタンダードなサビのキャッチーや岡崎体育本人の「音楽界の道化(ピエロ)であろう」というスタンスによって絶妙なエッセンスでもってこの曲は成立している。つくづく末恐ろしい才能だと実感した。
そもそもこの曲の元ネタ、というか素案になったであろうツイートを過去に岡崎体育は投稿していて、これがかなりリツイートされたことから恐らく本人がこれはイケる、これはウケると思ってリリースに踏み切ったのだろうということが取れる。
冷蔵庫に貼ってあったメモ書きを英語風に読んでみた pic.twitter.com/QiGhyFHF51
— 岡崎体育 (@okazaki_taiiku) 2016年1月7日
まとめ
冒頭でも述べた通り、曲の受け取り方というのは十人十色、千差万別で異なる。私は今回の『Natural Lips』においても歌詞を見なければ何を言ってるかわからない、最悪お洒落なメロディに乗せて「フガフガ」言ってるだけでも成立してしまう、今の音楽シーン全般への皮肉にも取れた。
それをいくら岡崎体育本人が否定しようとも、実際1パーセントもそんな意図はないのかと聴くと恐らく答えはノーだろう。思ってないとしたらこんな曲を世に出す意味はない。(ウケ狙いという点で言えば、今回の『Natural Lips』はコミックソングとしては正直そこまで面白いというわけではない)
とはいえ、散々書き連ねたように彼の音楽の才能というのは圧倒的なものを感じさせるし、いつか「おふざけなし」で作った彼の本気の楽曲が聴いてみたいと強く思った。
(文:TAKAHASHI)